人文・思想 読書メモ

【密教の歴史】【即身成仏】【雑蜜・純蜜】【身口意】【三観】 

空海の言葉

苫米地 英人 (著)
『超訳 空海 弘法大師のことば』

✔️空海のこと
✔️密教のこと
✔️仏教についての本質的なこと

上座部仏教と大乗仏教それから密教へ

◆上座部仏教(小乗仏教)


・釈迦が生きていた時代に使われていた言葉に近いパーリー語でお経をあげている
・古い経典をベースにしている
・思想性が薄い半面親しみやすい

しかし、時代とともに…
僧が堕落し、釈迦在世時代の仏教とはまったく違うものに変質した。

それに対抗して大乗仏教が登場。

◆大乗仏教


・在家者中心とした運動として起った
・在家者のものに仏教を取り戻そうという信者の思い

しかし、時代とともに…
概念として抽象化され、哲学的な展開を深化させて、万人には理解できない、難解な教えになった。

そこで・・・
難解になり思想化、哲学化しずぎた大乗仏教を大衆化するための運動として登場したのが密教。(P21)

密教の歴史

初期密教

・除災招福を目的とする儀礼が中心

中期密教 7世紀頃

・空海が日本にもたらした密教
・大日如来が教主
・生きているうちに成仏することが究極の目標


・身口意、三蜜

・諸尊(仏や神々)

・曼荼羅

・思想と礼儀

・有機的な宗教体系

・絢爛豪華な儀式

・代表経典:『大日経』『金剛頂経』

・両部不二(りょうぶふに)の思想体系の確立

後期密教

・インドからヒマラヤを越えてチベットへ
・チベット密教では「密教」のステージまでいたる人は、かなりの高層


・釈迦への回帰(釈迦の時代の仏教に近づいた)

・質素なイメージへ

・瞑想中心=「空」の世界へと移行

雑蜜・純蜜

雑蜜・・・空海以前の密教

陀羅尼などが個人の能力開発というかたちで、修行者などに使用されていた。



純蜜・・・空海がもたらした真言密教

個人レベルではなく、国家を護るという大きなレベル、一般大衆を救うための教えとして考えていた。

密教とは何か

密教を代表する概念は身口意=三蜜

三蜜とは、身蜜、口蜜、意蜜(P36)

身蜜

私たちの身体に秘密が隠されているという考え方。

私たちの身体にも仏は宿っている。それを私たちは感じることが出来るという考え方。

法界定印(ほっかいじょういん)の写真

・座禅:法界定印+結跏趺坐
・座禅の形は如来を意味している
・この形そのものに秘密があると密教では考える


正座の時、坐禅の時の手の形。 右手のひらを上向きにして組んだ足の上に置き、その上に左手のひらをおなじように上向きにして置き、 両方の親指の先をかすかに接触させる。 力を入れて押してはいけないが、決して離さないようにする。

口蜜

真言のこと
例:のうまくさんまんだ~


・人気は不動明王
・仏像は大いなる怒りを表現している
・その怒りの炎で私たちの煩悩を払ってくれている(P38)

意蜜

心を大日如来の境地にもっていくこと。
空そのものになること。
阿字で瞑想し、イメージを通して空の世界へ行く。


・真言宗のお寺など行われている「阿字観」(観法)という修行。

・大日如来の姿を阿字に見立てて、心の中に描いた阿字と一体になるという修行法が阿字観。

・観法(かんぽう)は密教独特の修行法でブッダの行っていた禅定、大乗仏教の禅と全く同じであるともいえる。

即身成仏とは何か?

「密教とは即身成仏という言葉から一歩もでない」(空海の言葉)


即身成仏とは「生きたまま仏になる」ということ。空海の思想の中核をなす言葉。(P77)

もう少し掘り下げて言えば、即身成仏とは「今ここで、大日如来を受け入れること」



生きたまま仏になるって「ミイラになる」こと? (P78)

ミイラになって成仏する方法が存在する。

千日回峰行と木食行(木の実などを他べる)などをミックスさせたような方法で、行きながら土中入定(どちゅうにゅうじょう)していく方法。



しかし

本来の意味は、空海が死んだ後に弥勒菩薩としてこの世に現れてくる、という弟子たちの信仰から来ている。


空海は今も高野山に「入定」しているのであり、未来に復活することになっている。(P90)

空観・仮観・中観=三観

花の写真

空観

・最初に悟ってしまえ!
・この世に常なるものはないということを理解する。
・現象世界を否定する。


空観ではなく実観でこの世を見てしまうと、戦争になる。豊かになるために争そう。

仮観

・空観で否定した現実世界を、仮の世界ではあるけれども、肯定的にとらえ直すこと。

・仮の世界において、自分自身の役割を果たす。
(例:仕事などでこの世に貢献する)

しかし
仮観に留まってしまっては仏教の本質から離れてしまうので、また空観に戻らなくてはならない。

中観

このように空と仮を行ったり来たりしながら、一番良い状態にあることを中庸といったり中観と言ったりする。


※仮観に偏り過ぎると、生きることの本質から離れていく。しかし、空観によりすぎても、現実世界から離れすぎて生活が出来なくなる。


仮観でもなく、空観でもない第3の道、それが中観という考え方。

親鸞の思想

「他力本願」「絶対他力」

「他力」とは阿弥陀仏のこと
「善人なおもって往生を遂ぐ いわんや悪人をや」(P63)

なぜ、善人よりも悪人の方が往生して浄土に行けるのか?


善人=「自分の力で人生を切り開いて行こう」
つまり阿弥陀仏の力を頼ろうとはしていない。

悪人=煩悩が多いので阿弥陀仏の力が必要だし、阿弥陀仏を信仰するしか浄土へ行く道がない。

参考文献

空海の考え方、即身成仏の考え方を理解するならば、すべての人は悟ることができ、涅槃に行くことができます。

空海の言葉


『超訳 空海 弘法大師のことば』
苫米地 英人 (著)
PHP研究所 (2016/8/3)

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